黒川武彦(くろかわたけひこ)さんが渋すぎる!
知る人ぞ知る往年の名ライダー。
マニアックなHONDAファンなら知っているかもしれません。
黒川武彦さんは元HRC(ホンダレーシング)の開発ライダーでレーサー。
今は栃木の日光で飲食業をされています。
黒川武彦さんについて
黒川武彦(Takehiko Kurokawa)
プロフィールを拝見しますと、栃木県出身1963年6月17日生まれ、身長171cm、体重68kg
林道暴走族を経て、ホンダの朝霞研究所やHRCでマシン開発をしてこられた方です。
開発ライダーと言いながら、その走りは速く、レースにも出場。
全日本ロードレース選手権や鈴鹿8時間耐久オートバイレースなどにも出場されていました。
朝霞研究所、HRCと、マシン開発とレースに携わって来ました。
ライダーの為の飲食と、セルフでの無料でのマシンメンテの出来る、ライダーに優しいお店です。
日光市藤原289 東武新藤原駅徒歩1分 ピットイン
(※ご本人のFacebookプロフィールより)
顔はコワモテの一見ヤバい人?ですが、実はとっても優しいお人柄の方です。
全日本史上最年長優勝!
2009年10月18日
地元と言って良い栃木県のツインリンクもてぎで行われた「MFJ 全日本ロードレース選手権シリーズ第6戦 SUPERBIKE RACE in MOTEGI」にて、黒川武彦選手が全日本史上最年長優勝を果たしました!
レース中の転倒、2度の赤旗で、5周の第1レースが最終結果となる波乱のレースを制したのがベテラン黒川選手でした。
優勝/#705 黒川 武彦 松本クリニックVIPBスピード
全日本で優勝経験のないピレリタイヤでの優勝というのがまた渋いです。
マシン開発について【RCB400】
RVFで、つまりV型エンジンでレース界を牽引してきたホンダが、いやいや「直列エンジンでも出来ることを見せつけてあげます!」くらいの勢いで始めたRCBプロジェクトらしいです。
そのRCB400、当時のカテゴリーTT-F3クラスにて、若手期待のライダー田口益充選手に預けられたわけですが、まだまだライバルのヤマハやヨシムラ(スズキ)に対抗するには至らず、マシンは黒川選手に預けられることになりました。
当時の紹介でも随分イカついマシンが出てきたなと思ったものです。
マシン開発について【RGB600】
1980年代後半は空前のオートバイブームでした。
エコー・デ・カトルとかバトル・オブ・ザ・ツイン、サウンド・オブ・シングルスなど、シングルやツインのエンジンを積んだマシンたちの祭典がたくさんありました。
そんな中、本田朝霞技術研究所の有志たちによるプライベートチーム(世間ではセミワークスと呼ばれていましたが……汗)が世に送り出してきたのが【RGB600】です。
市販車改造クラス、ただし何でもアリのESクラス(エキスパートクラス)に参戦してきたのがこのRGB600です。
ホンダにはGBクラブマンという市販車がありましたが、このマシンはその流れをちょっと汲む……。
GB500/400クラブマン。
かっこいい大人なテイストのマシン。それが、こんなことに……。
GB250ってのもありましたが。
黒川選手の乗ったこのマシンは、GBベースということになっていますが、ぶっちゃけ別物の化け物でした。
そのフレームはRS250R(86年型)を切断し、デカ頭のシリンダーヘッドが入るように曲げて使用。
エンジンもGB500というよりは、どうもXL600のクランクケース+クロスミッション+シリンダーから上はRS600D。キャブレターは42φのPJタイプに拡大変更され、エアーファンネルは撤去。628ccで65psを絞り出す、強烈なシングルシリンダーエンジンだったらしい。
足回りも、フロントフォークが’86年型RS250R、ブレーキは’87年型のCBR400R(TT-F3用)のものを移植。
リヤサスペンションは’85年型のRS750R、ホイールはHRC製のTT-F1用のものが使用されたと聞きます。
筑波サーキットでのエコーデカトル(1987年秋)のベストタイムは非公式で1分01秒96(決勝レース)を記録。
「1分0秒台に入るのでは?」と思わせる、マシン+ライダーの組み合わせでした。
マシン開発について【NSR250インジェクション仕様】
まだ世の中がキャブレターだった時代に、黒川さんはインジェクション仕様のNSR250を走らせています。
RCB400での全日本選手権TT-F3クラス参戦もしかり、インジェクション仕様のNSR250も全日本のGP250ccクラスという、超激戦区への参戦でした。
そんな中、ダミータンクの半分はデータロガーだったという、ずば抜けて重いマシンでの実戦参戦。
そこでのトップライダーたちとの熾烈な争いで、黒川選手の実力の高さ、速さを伺い知ることが出来ます。
残念な大事故
1988年、HRCに移籍してまさにこれからというときに事件が起こります。
夏の祭典、鈴鹿8時間耐久オートバイレースに参戦した黒川選手ですが、ピットロードでクラッシュします。
ピットインしてきた黒川選手が、外のガードレールとマシンとの間に挟まれてボロ雑巾のようになり、全身が引きちぎれてしまうのではないか!?と見えた大事故で、大怪我をします。
半年間の入院生活で実戦から一時期遠ざかり、翌年には復帰するものの、世界レベルのライダーとして、ワールドグランプリへの参戦する姿を見ることは出来なくなってしまいました。
主な戦績
1986年 全日本選手権 国際A級250参戦 オートテクニックスポーツ
1987年 全日本選手権 国際A級250参戦 RS250 チームブルーフォックス
1988年 全日本選手権 TT-F3、GP250、8耐 HRC契約
1989年 全日本選手権 TT-F3、GP250、8耐 HRC契約
1990年 全日本選手権 TT-F3、GP250、8耐 HRC契約
1991年 WGP鈴鹿GP250参戦
1992年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1993年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1994年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1995年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1996年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1997年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1998年 全日本スポット参戦、エリア参戦
1999年 WGPもてぎGP250参戦/もてロー参戦
2000年 もてロー参戦
2001年 もてロー参戦
2002年 もてロー参戦
2003年 十勝選手権参戦/全日本選手権スポット参戦/もてロー参戦
2004年 十勝選手権チャンピオン/全日本選手権スポット参戦/もてロー参戦
2005年 十勝選手権参戦/全日本選手権スポット参戦/もてロー参戦
2006年 全日本選手権ST600参戦/もてロー参戦
2007年 全日本選手権ST600 ランキング11位/もてロー参戦
2008年 全日本選手権ST600 ランキング24位
2009年 全日本選手権ST600 ランキング17位(1勝)
2010年 全日本選手権ST600 松本クリニックVIPBスピードから参戦
※MFJ記録一覧より
Facebookもされています
黒川選手は現在、栃木県の日光で飲食店を経営されており、日々の生活をFacebookで綴られています。
一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
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