八代俊二選手の1988年_MotoGP前夜_駆け抜けたサムライ

1988_WGP_500cc

八代俊二選手の1988年

きっと大変だっただろうと思います。

昨年からフル参戦した世界グランプリ。GP500ccクラス。

名実ともに世界一を競うマシンと男たちが集まるこのクラスでのフル参戦2年目。

チームメイトは昨年同様、モリワキ出身つながりのワイン・ガードナー選手。

そう、昨年の世界チャンピオン。

昨年と同じロスマンズホンダ・レーシングチームは、ホンダの中でも、世界チャンピオン連覇を狙い、ガチで世界を獲りに行く、HRCお墨付きのワークスチーム。

マシンは昨年、ワイン・ガードナーの手により、15戦中7勝をあげて実績のあるNSR500をさらに熟成、進化させたNSR500。

昨年ガードナーから、「チームメイトが力不足」というような手厳しい指摘を受けて、1ランク上の走りを見せなければならない状況。

しかし、マシン開発の責務も負い、開発で試行錯誤しながらのレースを余儀なくされた八代選手。

そうお見受けしました。

NSR500、本命マシンがまさかの失速

#1 W.GARDNER HONDA NSR500 (1988)

前年からさらなるハイパワー化を行い、重心位置をさらに前に、更に低く……。

ホンダの思惑としては、巻き返しを図りたいヤマハYZR500や、いよいよ本格参入してきたスズキのRGV500Γ(ガンマ)に対しても、逃げ切るつもりだったはずです。

しかし蓋を開けてみると……

「何かがおかしい……」

違和感を感じた八代選手がそのことを告げると、チームメイトのガードナーは「気のせいだろう」と鼻にもかけない。

開幕第1戦は鈴鹿開催の日本グランプリ。

そこで、レースの大本命と目されていたワイン・ガードナー選手は、新鋭ケビン・シュワンツ選手を引き離すことが出来ないどころか、追走すらもいっぱいいっぱい。ついにはコースアウトして、シュワンツを獲り逃してしまいます。

その後も苦戦して、チャンピオン防衛にもが影を落とします。

八代選手の言葉に耳を傾けていれば……。

本当に問題に気づき、手を打つまでには、相当無駄に時間を消費してしまいました。

八代選手の奮闘

昨シーズン、予選ではフロントローに並ぶなど、一発の速さを見せるものの、スタートで後方に飲まれる事が多く、後半には、人間もタイヤも消費しきってしまい中団グループがやっとのように見えた八代選手でしたが、シーズン後半にはしっかりと自らのポジションを守り、「クリスチャン(サロン選手)ご苦労さん」という具合にレースを作れるようになりました。

さて、迎えた1988年シーズン。

前年のチャンプ、ガードナー選手の実力を持ってしても苦戦するマシンで、より繊細な八代選手の苦労は相当なものだったはずです。

思うような結果を残すことが出来ずに、翌1989年には、全日本選手権GP500ccクラスに戻ってくることとなりました。

1987年のドイツGPホッケンハイムリンクでの最後尾からの激走などを知っているので、もっと世界GPで活躍する姿を見たかった選手です。

▼▼1988年シーズンWGP500の顔ぶれがよくわかります。

八代選手はワインガードナー選手と同じロスマンズカラーのゼッケン9番です。

 

>>BIKE and LIFE トップページへ

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。