アメリカ人最速ライダーは誰だ!?
オートバイロードレース界で、ヤバいくらいに速かった最速のアメリカンライダーたち12人を選んでみました!
1980年代以降を中心に、光り輝いていたライダーたちをピックアップしています。
独断選考ご容赦願います。
12:ランディ・マモラ(スズキ、ホンダ、ヤマハ、カジバ)
ランディ・マモラ (Randy Mamola、1959年11月10日-)
「マモラ乗り」誰もが一度は聞いたことがある、その独特のライディング。
ランディ・マモラ選手も凄いライダーなのです。
永遠のナンバー2! いわゆる無冠の帝王です。
残念ながら、世界チャンピオンこそ獲得出来なかったものの、長きに渡り、レース界を背負ってきたエンターティナー。
スズキ、ホンダ、ヤマハ、カジバの4メーカーで活躍し、レールだけではなくて、とにかくファンへのサービス精神たっぷりのプロフェッショナルライダーでした。
世界最高峰クラス、GP500CCクラスで4度の年間ランキング2位など、実力派のライダーでもあります。
特に、雨の日などではめっぽう強く、1987年の鈴鹿、日本グランプリでもスタートからゴールまで、ぶっちぎりの独走優勝を飾っています。
11:スコット・ラッセル(カワサキ、スズキ、ヤマハ)
スコット・ラッセル(Raymond Scott Russell, 1964年10月28日 – )
スコット・ラッセルはAMAスーパーバイクチャンピオン。
後にスーパーバイク世界選手権でも世界チャンピオンになる人です。
1990年から1992年までの3年間、750ccスーパースポーツで3年連続チャンピオン。
特に1991年にはシーズン全勝を果たす大活躍を見せました。
1992年には、最高峰AMAスーパーバイクでチャンピオンを獲得します。
1993年、Muzzy・カワサキチームからスーパーバイク世界選手権にフル参戦。初年度にしてチャンピオンを獲得。
同年、アーロン・スライトとのペアで鈴鹿8時間耐久ロードレースにも出場し、カワサキに初優勝をもたらした。
また、デイトナ200マイルレースでは史上最多の通算5勝という記録を持ち、”ミスター・デイトナ” の異名を持つことで知られている。
個人的には、ネイティブアメリカン調のアパッチ族の酋長のような羽飾り模様のヘルメットがカッコよくて、憧れました。
そのデザインの一部は、ノリックこと阿部典史選手のヘルメットにも取り入れられていましたよね。
10:ケニー・ロバーツ・ジュニア(ヤマハ、モデナス、スズキ、チームKR)
ケネス・リー・”ケニー”・ロバーツ・ジュニア(Kenneth Lee (Kenny) Roberts Junior, 1973年7月25日 – )
ケニー・ロバーツ・ジュニアは苦労人。
父上がすごい人なので、同じ業界でやっていくことはさぞや大変だっただろうと思います。
でも、凄いですよね。
2000年には最高峰クラス、WGP500ccクラスで世界チャンピオンになっていますからね。
乗っていたのがRGV500Γ。
そこに至るまでモデナスKR3で戦っていたりしましたから、戦闘力の面でも苦労が多かったと思います。
でも、その後、レーシングライダーとして一番あぶらの乗った時期にWGP500からMotoGPへの変遷期にぶつかってしまうんですよね。
レースに集中できる環境とか状況が続いていたら、もっと活躍していたかもしれないライダーです。
9:ダグ・ポーレン(ヨシムラ、ドゥカティ、ホンダ)
ダグ・ポーレンことダグラス・ユージーン・ポーレン(Douglas Eugene “Doug” Polen, 1960年9月2日- )
日本に来た黒船。ダグ・ポーレン。
AMAスーパーバイクなどで活躍したポーレン。
アメリカの賞金王という触れ込みで、ヨシムラのライダーとして全日本選手権に参戦したときには驚きました。
クールでワイルドな風貌で、全日本にダグ・ポーレン旋風を撒き散らし、1989年に、TT-F1、TT-F3の両クラスで見事に全日本Wチャンピオンを獲得します。
その後、スーパーバイク世界選手権、世界耐久選手権でチャンピオンを獲得した。
1991年からはスーパーバイク世界選手権に参戦。ドゥカティ851を駆ってフル参戦初年度にもかかわらずチャンピオンに輝いた。
翌1992年も連覇。AMAスーパーバイクでもシリーズ3位を獲得した。
1993年には全米選手権に集中し、AMAスーパーバイクチャンピオン。
1994年にホンダからスーパーバイク世界選手権に復帰すると、年間ランキング4位になり、同年、アーロン・スライトと組んで鈴鹿8時間耐久オートバイレースで優勝を果たしている。
1996年からはスズキワークスから世界耐久選手権に参戦。
1997年にはル・マン24時間耐久ロードレースを制する等で、ペアライダーのピーター・ゴダードと共に年間チャンピオンを獲得。
1998年にはホンダに移籍し、2連覇を達成した。
8:フレッド・マーケル(ホンダ)
フレッド・マーケル(Fred Merkel、1962年9月28日 – )
ヘルメットからたなびくブロンドの髪!
フレッド・マーケル選手は、ビジュアル的にも、いかにもな、アメリカンライダーです。
マーケル選手は、スーパーバイク世界選手権の初代世界チャンピオン。
1984年、マイク・ボールドウィンとのペアで鈴鹿8時間耐久オートバイレースに優勝。
AMAスーパーバイク選手権では、1984年、1985年、1986年と、3年連続チャンピオン。
1988年にスーパーバイク世界選手権が始まると、ファブリツィオ・ピロバーノとダビデ・タルドッツィを抑えて初代世界チャンピオンに輝いた。
また、翌年も好成績を残し、2年連続のチャンピオンになっています。
7:ジョン・コシンスキー(ヤマハ、スズキ、カジバ、ホンダ)
ジョン・コシンスキー (John Kocinski, 1968年3月20日 – )
日本でもおなじみのジョン・コシンスキー選手。
GP250ccクラスで、本間利彦選手の最大のライバルとして登場し、後に世界グランプリにフル出場した際には、原田哲也選手とも激しいバトルを繰り広げました。
その後さらに、WGP500ccクラスにステップアップし、そこでもトップライダーとして活躍します。
小排気量車から、ビックバイクまでを上手く乗りこなす、素晴らしい腕前のライダーでした。
6:ニッキー・ヘイデン(ホンダ、ドゥカティ、スズキ)
ニコラス「ニッキー」パトリック・ヘイデン(Nicholas “Nicky” Patrick Hayden、1981年7月30日 – 2017年5月22日)
ニッキー・ヘイデンは男前。
カッコいい、ナイスガイです。
2002年、AMAスーパーバイク選手権チャンピオン。
2006年、ロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。
兄弟のトミー・ヘイデンとロジャー・リー・ヘイデンもプロのバイクレーサーとして活躍。
2017年のスーパーバイク世界選手権のシーズン途中、イタリアでサイクリング中に自動車事故にあい、後に他界。
惜しいライダーを亡くしました。
5:ケビン・シュワンツ(ヨシムラ、スズキ)
ケビン・シュワンツ(Kevin James Schwantz, 1964年6月19日 – )
フライング・テキサン! ケビン・シュワンツ!
テキサス出身のケビン・シュワンツは、まるで空を飛ぶようにマシンを操り、抜群のスピードでサーキットを駆け抜ける男でした。
とにかく競り合いに強く、マシンが明後日の方を向いたり、コースからはみ出すような場面でも、今抜き去った相手を振り返り「かかってこいや!」と挑発するようなライディングが印象的です。
長い手足を使ってのコーナーリングもさることながら、しっかりマシンに身を伏せて走るストレートも攻撃的で好きでした。
とは言え、ストレートエンドのギリッギリのブレーキングこそが、彼の真骨頂なのでしょうけれど。
とにかく、レースファンを惚れさせる! シビれる、魅せるライディングをするアメリカンライダーでした。
4:フレディー・スペンサー(ホンダ、ヤマハ)
フレデリック・”フレディ”・バーデッド・スペンサー(Frederick “Freddie” Burdette Spencer, 1961年12月20日 – )
アメリカ人の天才ライダーといえばこの人。
ファースト! フレディー・スペンサー。
まだ完成度の低い世界グランプリ復活直後のHONDAに跨がり、世界に衝撃を与えた男。
1983年には、レースファンの語り草となる、キング・ケニーとの年間シリーズを通じての一騎打ちを闘い、見事に打ち破った男としても知られている。
いっけん柔和な顔からは想像もつかないアグレッシブなライディングで、未だにファンも多い。
記録にも記憶にも、間違いなく残っているライダーです。
3:ウェイン・レイニー(カワサキ、ホンダ、ヤマハ)
ウェイン・レイニー(Wayne Wesley Rainey, 1960年10月23日 – )
ミスター100%! ウェイン・レイニーはアメリカ人最強ライダーかもしれない。
速さと強さ、安定感と実績。非の打ち所のない、【最強】と言ってよいだろうライダー。
AMA(全米選手権)からWGP(世界選手権)まで、最後に怪我でサーキットを離れるまでの間、ずっとトップライダーの座に君臨して、チャンピオンあるいはチャンピオン争いを繰り広げるというとんでもないレーサーです。
レイニーの自伝を読むと、相当な苦労と苦悩を抱えて走っていたことが分かるのですが、サーキットではまったくそれを感じさせない強さと速さを見せつけた素晴らしいライダーです。
2:エディー・ローソン(カワサキ、ヤマハ、ホンダ、カジバ)
エディ・レイ・ローソン(Eddie Ray Lawson 、1958年3月11日 – )
最強を超える職人。
エディー・ローソン選手は優勝請負人。
ヤマハでチャンピオンを取ってからのホンダへの電撃移籍。
それでもその年に再びチャンピオンになる!
引退直前のカジバでの初優勝など、誰も出来なかったことを成し遂げる本物。
プロ中のプロ。
昔の映像技術だと、この人の凄さが伝わりにくいと思うのですが4Kテレビとか、スーパースローが当たり前だったら、この人、もっともっと注目されていたと思います。
マシンコントロールがえげつなく上手いです。シビレますよ。
1:ケニー・ロバーツ(ヤマハ)
ケニー・ロバーツ(Kenny Roberts)ことケネス・ルロイ・ロバーツ(Kenneth Leroy Roberts 、1951年12月31日 – )
アメリカンライダーといえば、この人しか居ないでしょう。
【キング・ケニー】の愛称で知られるレジェンドライダー。
なにせ、アメリカから海を渡り、当時のヨーロッパ選手権の如き世界グランプリに、単身に乗り込み初年度から3年連続で世界チャンピオンになる!というバケモノライダーです。
ハングオン(後にハングオフとも呼ばれる)スタイルを実戦で最大限に活用し、結果を出した第一人者です。
世界中、もちろん日本にもファンは多く、後にチーム監督としてもその手腕を遺憾なく発揮するというロードレース界のスーパースターです。
編集後記
この12人以外にも、速い人、たくさんいますよね。
ケニー以前の世代ですと、レグ・プリッドモアやウエス・クーリー。
同世代だと、不運にも活躍しそびれた、ババ・ショバートやダグチャンドラー。
この世代以降ですと、ベン・スピーズやマット・ムラディン、ジョシュ・ヘリンなど、ヤバイ人が多い!
おいおい紹介していきましょうね。
レジェンドレーサーたち
Moto2世界チャンピオン! レミーガードナーのお父さんって何者なのですか? VR46!レジェンドライダー_ヴァレンティーノロッシもついに引退! 宮崎祥司(みやざき しょうじ)選手は全日本ロードレースTT-F1チャンピオン_ラジコンショップ_ミヤザキの現在 片山敬済(かたやまたかずみ)HONDA NR500と空白の3年間 マイクボールドウィンはアメリカントップレーサー ケビンマギーはヤマハ8耐初優勝の功労者
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