本間利彦(ほんまとしひこ)は19歳のレジェンド!霧の中のスーパースター!

UCC YAMAHA GP250 Toshihiko Honma

本間利彦選手は世界を狙えるレベルのオートバイレーサー
伝説のデビューから、
メキメキと頭角を現し、
世界を掴みにいけるはずの逸材でした。
あの事故がなければ……。

1986年事件は霧の中で起きた!

本間 利彦(ほんま としひこ)選手は愛知県出身のライダー。

1986年にこの本間選手が全日本ロードレースの国際A級にデビュー。

この年9月21日、静岡県の富士スピードウェイで行われた富士インターナショナルロードレース スーパースプリント。

本間選手はチーム ウカワR&MコメットからGP250ccクラスに参戦。このとき弱冠19歳。

TZ250 Toshihiko Honma GP250 1986

普段は運送業で稼ぎ、借金を抱えながらレース活動を行う。

ゼッケンは79番、メカニックの居ない本間選手は、ヘアピンでガス欠、車検も自分で車両を持ち込むなど、絵に描いたようなプライベートライダーでした。

世界選手権(WGP)からはカルロス・ラバード、ジャン・フランソワ・バルデ、アルフォンソ・シト・ポンス、コーク・バリントンら、世界の強豪たちが、全日本選手権からは清水雅広、樋渡治、山本隆義らのやはり強豪たちが、ひしめき合って、しのぎを削るレースでした。

TZ250 Toshihiko Honma GP250 win 1986

そしてさらに濃霧の中の第一ヒートで優勝!総合でも5位に入る大健闘を見せてくれました!

ヤマハのライダーとして大抜擢

GP250 #30 Toshihiko Honma (1987)

1987年シーズンイン、本間選手はその才能と可能性を買われ、YDSチーム岡部からYAMAHA TZ250での参戦になりました。

チームメイトは難波恭司選手。

途中、怪我などでヤマハのエース奥村 裕(おくむら ひろし)選手のYZR250に跨る機会を得るなどして、結局この年は、ヤマハ勢最上位の全日本ランキング3位になります。

そして翌1988年、ビックスポンサーUCC(上島珈琲)が本間選手をサポートし、いよいよ全日本チャンピオンを獲りに行きます。

UCC YAMAHA GP250 Toshihiko Honma 1

1988年5月1日、全日本GP250ccクラスで国際A級初優勝を達成!
このときは西日本サーキットでポールトゥウインでの勝利。

UCCヤマハで活躍した本間選手はこの年、念願の全日本チャンピオンになりました。

世界を狙う若獅子

#1 YZR250 Toshihiko Honma (1989)

本間選手、全日本チャンピオンになると、今度は世界を見据えて走り方を進化させていきます。

もっと速く、もっと遠くへ。

WGP250 #28 Honma vs #9 Shimizu

同じヤマハのジョン・コシンスキー選手や、一足先に世界選手権に飛び出していった清水雅広選手ら、そういったWGPクラスのライダーと戦っても勝てる実力をつけるべく、ポールポジションから一気に飛び出して、後続をぐんぐん引き離し、自分との戦いをするようなレース運びになっていきます。

最高峰クラスへの挑戦

シーズン途中の怪我が響き、1989年はタイトル返上。

1990年から、最高峰のGP500ccクラスへステップアップします。

YAMAHA YZR500 Toshihiko Honma

1991年に全日本ランキング6位
1992年に全日本ランキング4位と着実にステップアップ。
1993年にいよいよ全日本チャンピオンか!?と思った時に、彗星のように現れたのがノリック!阿部 典史(あべ のりふみ、当時はHONDA)選手でした。

1993年シーズンのチャンピオンはノリックこと阿部典史選手に敗れて全日本500ccクラスのランキング2位。
全日本GP500の最後のシーズンだっただけに残念でした。

マカオグランプリの話

全日本選手権の終了後、ヤマハからマカオグランプリ参戦の打診を受け、旅行気分でふたつ返事した本間選手。

マカオ市街地を使った公道レース。

MacauGP YZR500 Toshihiko Honma

YZR500を持ち込むやつなんて他に居ないし、楽勝!と思ったんですって。


しかしフタを開けると・・・「おるやんけ!!」

しかも、走り出したら本当にバンピーで、普通に壁の迫るとんでもないコース!

MacauGP YAMAHA Toshihiko Honma

「ほんとにここでレースするの!??」と、驚きの連続だったそうです。

本間利彦選手について

160cm台半ばくらいの身長で決して大きくはなく、500ccってどうなんだろう?と思いましたが、ケニー・ロバーツにしても、後のダニ・ペドロサにしても、加藤大治郎や原田哲也にしても、速いライダーは身体のサイズなんか関係ないんだなと思わせてくれました。

レースは1度復活したりしているので、2度引退をしています。

レーサーとしても有名な本間選手ですが、開発ライダーとしての手腕も高く、ヤマハの先輩、シャケさんこと川崎 裕之(かわさき ひろゆき)さんの薫陶を受け、世界で戦えるファクトリーマシンの開発に精力を注いでくれていました。

本間利彦さんの現在

これまで、ゴルフのレッスンプロや、飲食店の経営者など、何種類か、ジャンルの違う職業をされていたようです。

名古屋のお店「酔仙(すいせん)」にお邪魔させて頂いたことがありますが、マスター本間利彦さん自らが腕を振るう料理はとても美味しかったです。現在閉店されているのが残念でなりません。

また、海外支援に熱い想い入れがあり、学校建設の支援活動等も積極的に行っていらっしゃるようですよ。

今の本間利彦さんが、1992年のマカオグランプリについて語ってくれました。

マシンのハンドルが左右のストッパーにあたるくらいに振られまくり、ブレーキパッドが広がって……と、市街地レースの生々しい状況についてお話してくれています。

ライバルたち

越えるべき壁 清水雅広

Masahiro Shimizu HONDA NSR250_ in筑波清水雅広(しみずまさひろ)は孤独なハリケーン!片山敬済以来の世界チャンピオンを期待された男! ホンダ

本当の相手、ジョン・コシンスキー

#19 John Kocinski YAMAHAジョンコシンスキー(ヤマハ、スズキ、カジバ、ホンダ)

急成長してきたライバル岡田忠之

HONDA_NSR500_1997_okada岡田忠之(おかだ ただゆき/HONDA) 最強クラスWGP500で世界最速に一番近づいた日本人ライダー!

ヤマハの後輩 原田哲也

#31 Tetsuya Harada原田哲也(はらだてつや)はイタリアで一番有名な日本人!? 日本人最強最速! ヤマハ、アプリリア、ホンダ

GP500時代のライバル

#6 Norick Abe WGP YAMAHA YZR500_2ノリックこと阿部典史(あべのりふみ)は真のレジェンド! V.ロッシが憧れたレーサー! ホンダからヤマハへ

 

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