【全日本ロードレース選手権】歴代チャンピオンズリスト(1980年代編)

#4 Masaru MIzutani All Japan Road Race

オートバイレースの国内最高峰、【全日本ロードレース選手権】1980年代編

その中で、空前のバイクブームを巻き起こした1980年代をとりあげます。
この頃は、いったいどんな選手が活躍していたのでしょうか?
 

全日本チャンピオンの譜系

 
1980年代の中盤から後半、バイク人気が加速して、それに伴い、ロードレース人口も爆発的に増加!
そんな中で、国内最速を競い合った選手たち。
しのぎを削りながら闘い、そこで頂点に登り詰めた選手はいったい誰だったのか?

各年度の全日本チャンピオン!
国内最速のライダーたちにスポットを当ててみました。

参戦クラスが異なるため、それぞれのクラスについて追いかけて見てみましょう!
 

国際A級 125ccクラス

 
1980年 一ノ瀬賢明
 
1981年 一ノ瀬賢明
 
1982年 一ノ瀬賢明
 
1983年 栗谷二郎
 
1984年 栗谷二郎
 
1985年 畝本 久(うねもと ひさし)
 
1986年 吉田健一(よしだ けんいち)
 
1987年 畝本 久(うねもと ひさし)
 
1988年 廣瀬政幸(ひろせ まさゆき)
 
1989年 山崎冬樹(やまざき ふゆき)
 
畝本久選手は後に世界グランプリに舞台を移して、WGP内に日本人村を形成する足がかりを作ったような気がしています。のちにWGP125ccクラスの日本人ライダーたちが大活躍しましすが、その活躍をひっぱる先導者のように見えました。

国際A級 350ccクラス

 
1980年 平 忠彦(たいら ただひこ)
 
1981年 藤本泰東(ふじもと やすあき)
 
この年を最後に350ccクラスは幕を閉じ、1982年からは250ccクラスが新設されました。
 

国際A級 750ccクラス

 
1980年 鈴木修(すずきおさむ)
 
この年を最後に750ccクラスは幕を閉じ、翌1981年からは500ccクラスが新設されました。
 

国際A級 500ccクラス

 
2ストロークエンジンの500cc以下4気筒以下の化け物クラスです。
現在のMotoGP(現時点では4スト1000cc)とは同じ土俵にいませんのでご注意ください。
 
1981年 木下恵司(きのしたけいじ:ヤマハ)
※全日本500ccクラスはこの年から開催がスタートしています。
 
1982年 水谷勝(みずたにまさる:スズキ)
 
1983年 平 忠彦(たいら ただひこ:ヤマハ)
 
1984年 平 忠彦(たいら ただひこ:ヤマハ)
 
1985年 平 忠彦(たいら ただひこ:ヤマハ)
 
1986年 木下恵司(きのしたけいじ:ホンダ)
 
1987年 藤原儀彦(ふじわら のりひこ:ヤマハ)
 
1988年 藤原儀彦(ふじわら のりひこ:ヤマハ)
 
1989年 藤原儀彦(ふじわら のりひこ:ヤマハ)
 
最高峰クラスの500ccクラスで平忠彦選手(ヤマハ)が3連覇。木下恵司(ホンダ)選手を挟んで、最年少チャンピオンから3連覇を果たした藤原儀彦選手(ヤマハ)。
その木下選手も、ヤマハ、ホンダと跨いで、2メーカーでチャンピオンを取っていますので、この10年間の間に、ヤマハが9回チャンピオンを獲るという、ホンダからは許しがたい状況になっていました。
 

国際A級 250ccクラス

 
1982年 福田照男(ふくだ てるお:ヤマハ)
※全日本250ccクラスはこの年から開催がスタートしています。
 
1983年 斉藤光雄(さいとう みつお:ヤマハ)
 
1984年 小林大(こばやし まさる:ホンダ)
 
1985年 小林大(こばやし まさる:ホンダ)
 
1986年 片山信二(かたやま しんじ:ヤマハ)
 
1987年 清水 雅広(しみず まさひろ:ホンダ)
 
1988年 本間利彦(ほんま としひこ:ヤマハ)
 
1989年 岡田忠之(おかだ ただゆき:ホンダ)
※岡田選手はこの後も、1990年、1991年と同クラスで全日本3連覇を達成。さらに世界へ……。
 
このクラスには、福田照男選手、清水雅広選手(後に雅浩と改名など)、岡田忠之選手など、後の世界グランプリライダーたちが居ます。
小林大選手もWGP鈴鹿ラウンドのホームグランプリで1勝をあげ、本間利彦選手もスポット参戦でトップライダーたちと互角の勝負をしてくれました。

国際A級 フォーミュラ3(F3)クラス

 
市販車改造のTT-F3クラス。
4ストロークエンジンなら400cc以下、あるいは2ストロークなら250cc以下。

※後述のTT-F1クラス同様に、公道用市販車をベースとしながらも、フレームまでをもいじれるレギュレーションで、およそ原型をとどめていないように見えたクラスである。
 
1984年 江崎正(えざきまさし……ただし、だったか?思い出せません(*_*;)
 
1985年 山本陽一(やまもとよういち:ホンダ)
 
1986年 山本陽一(やまもとよういち:ホンダ)
 
1987年 田口益充(たぐちますみつ:ホンダ)
 
1988年 塩森俊修(しおもりとしのぶ:ヤマハ)
 
1989年 ダグ・ポーレン(ヨシムラ)
 
ついに外人さん登場。このまま、日本相撲協会の如く、アメリカンライダーや外国のライダーさんたちだらけになって、制覇されてしまうのでしょうか??と思わせた一件でした。

 

国際A級 フォーミュラ1(F1)クラス

F3と並び、市販車改造のTT-F1クラス。
4ストロークエンジンなら750cc以下、あるいは2ストロークなら500cc以下と、TT-F3よりも、より大きいバイクを使用するカテゴリーであった。
 
1984年 八代俊二(やつしろ しゅんじ:モリワキ)
TT-F1クラスの初代全日本チャンピオン。……後に世界グランプリGP500ccクラスにフル参戦。
 
1985年 辻本聡(つじもと さとし:ヨシムラ)
 
1986年 辻本聡(つじもと さとし:ヨシムラ)
 
1987年 大島行弥(おおしま ゆきや:ヨシムラ)
 
1988年 宮崎祥司(みやざき しょうじ:ホンダ)
 
1989年 ダグ・ポーレン(ヨシムラ)
お気づきかもしれませんが、この年、ダグポーレン選手はTT-F3と同時のダブルタイトルを獲得しています。アメリカの賞金稼ぎが来日して、チャンピオンを2つ同時にさらって行ったのは衝撃でした。

 

1980年代の総括

 
改めて見てみると、2連覇、3連覇と、強い選手(チーム?)が強い印象。
選手の力量、チームの底力を感じさせます。

福田照男選手、平忠彦選手、八代俊二選手、清水雅広選手、畝本久選手、岡田忠之選手など、全日本チャンピオンを経て、世界グランプリに旅立った選手も多く、全日本を足がかりに世界を目指す選手が増えたように見えました。

チームを見ると、ホンダ、ヤマハは【HY戦争】と呼ばれて真っ向勝負。
スズキはお休み、ただしヨシムラが大活躍、そこへモリワキも交えて、群雄割拠。
カワサキさんが完全復活するまでには、もう少し時間が必要な印象でした。

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2 COMMENTS

この10年間の間に、ヤマハが9回チャンピオンを獲るという、ホンダからは許しがたい状況になっていました。

あなた、ホンダの関係者?
ホンダ贔屓の人?

こんな仕事早く辞めてくれ。

返信する
BIKE and LIFE

あ、さん
コメントありがとうございます。
私はホンダさんの関係者ではありません。
HY戦争に関して、どちらかに寄った記事を書いたつもりもありません。
ホンダから見たら、ヤマハにやられっぱなしは、さぞかし辛かったでしょうねと書いたまでです。

返信する

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