モリワキエンジニアリングから世界へ羽ばたいたレーシングライダー八代 俊二(やつしろ しゅんじ)選手について。
モリワキエンジニアリング
三重県鈴鹿市、鈴鹿サーキットのすぐ目の前に拠点を置くチューナー。
森脇 護(もりわき まもる)氏が代表を務め、二輪車、四輪車用部品、用品の研究開発、製造販売、レースへの参戦を行っているメーカー。
後の世界チャンピオン ワイン・ガードナーをはじめ、名だたる名選手を発掘し、送り出している会社でもある。
モリワキ製マフラーにちなんだ、知る人ぞ知る銘菓「モリワキモナカ」や、「チタン製タンブラー」などのマニアックなお土産物があるところも、なかなかモリワキファンのライダー泣かせな会社である。
突っ込みハッチ
八代選手の走りを見ると、コーナー入り口では必ずと言っていいくらい、結構な勢いで相手選手のインをついて突っ込んでくる。
「突っ込みハッチ」の所以(ゆえん)である。
八代選手は鹿児島県出身だが、モリワキレーシングのライダーとして、鈴鹿に住み、鈴鹿サーキットをホームコースにしていました。
その八代選手、国際A級 全日本ロードレース選手権、TT-F1クラスの初代チャンピオンです。
ちなみに同年、国内B級では、同じモリワキの宮城光選手がF1、F3のチャンピオンになっている。
4ストローク750cc以下又は2ストローク500cc以下の公道用市販車をベースにした改造バイクカテゴリーのレースで、1984年から開催。八代選手はその1984年にモリワキでチャンピオンとなっている。
改造範囲がやたらと広く、市販車のクランクケースを使用していれば、フレーム交換、サスペンション構造変更もありという、大盤振る舞いな改造クラスで、ヨシムラやモリワキが、メーカーワークスチームに割って入り、大活躍したクラスである。
身長167cmと小柄な身体でTT-F1(750cc)を駆る姿は、イン側に大きく身を乗り出す独特のライディングフォームでした。
NSR500貸与
1985年、国際A級1年目の辻本 聡(つじもと さとし) がヨシムラ・スズキからエントリーしてくると、TT-F1チャンピオンの座を奪われてしまう。
1986年から、最高峰クラスの全日本ロードレース選手権 国際A級500ccクラスにエントリーすると、NSR500を与えられ、国内での初勝利後、すぐに世界選手権、ワールドグランプリ(WGP)へスポット参戦し、7位入賞などをやってのけました。
WGP500へフル参戦
1987年はロスマンズ・ホンダから世界GPにフル参戦。
このときのチームメイトが、モリワキ出身のオーストラリア人、いよいよ世界チャンピオンを獲りに行く気まんまんのワイン・ガードナー選手です。
この年、同じクラスには、マルボロ・ヤマハから平 忠彦(たいら ただひこ)選手のフル参戦し、世界最高峰クラスに日本人2名がエントリーすることになった。
開幕第1戦は紀文を冠スポンサーにした20年ぶり開催の鈴鹿サーキット。
あいにくの雨模様、八代選手はフロントロー、予選4番手からスタート、序盤5位あたりをキープするが、次第に順位を落としていき、ついに・・・。
このレース、序盤からヘルメットのシールドの曇りに悩まされ、実は途中から「前が見えない状態」だったそうです。
しかし、母国開催、しかも地元の鈴鹿。
「途中棄権」が頭をかすめるものの、「シールドが曇ったのが理由でリタイアってどうよ?」と、走り続けます。
曰く、「前が見えなくても、周りの景色でブレーキングポイントは分かる!」
結果、転倒リタイアするものの、そんな男気あふれる八代選手でした。
第2戦からは海を渡り、いよいよ世界を舞台に戦います。
テクニカルコースの第2戦スペイングランプリを経て、第3戦はドイツグランプリ、超高速サーキットのホッケンハイムリンクでのレースです。
この年のNSR500は、大幅に改良されてパワーアップ。八代選手のライディングと共に、高速コース向きと言われ、結果が期待されました。
予選4位、またフロントローの好機!
しかし、スタートに失敗・・・ほとんど最後尾へ。(前年の平選手のように後続に追突されなくて良かった。)
でも、怒涛の追い上げを見せるんですよね。
シビレます!!!
▼▼ WGP1987年 ドイツグランプリ ホッケンハイムリンク GP500ccクラス決勝
前を走るライバルたちをガンガン抜いて、平選手をも抜き去り、4位に浮上!
しかし、ここでも残念ながら転倒、救急車になってしまいます。
眼の前に、マモラとハスラムが見えたらさ、あ!2位と3位だ!と思って、プッといったら、ドカーンと振られちゃって・・・。
あれを抜いたら表彰台だ!って思ったらね・・・。なんかこう違うじゃない?晴れがましい処(表彰台)に行けるなと思ったら・・・。
そんなふうにおっしゃってました。
ちなみに、その日の朝に腐った洋梨を食べてしまい、下痢にも苦しんでいたそうです。
シーズン前半はリタイヤも多く、なかなか調子が上がらないものの、後半には成績が安定しはじめ、最終戦のアルゼンチングランプリでは4位入賞。翌年の活躍を期待させる締めくくりを見せてくれました。
なかなか抜け出せなかった中団グループからの離脱も見えてきて、シーズン後半には、「クリスチャン(サロン)ご苦労さん。」とまで思えるようになっていたそうです。
そして、凱旋帰国。
GPライダーの貫禄を見せつけたいところでしたが、場所は筑波サーキット。全日本最終戦のMFJグランプリに思わぬ伏兵が現れます。その名を藤原 儀彦(ふじわら のりひこ)、1年落ちのYAMAHA YZR500を駆るMS・梶ヶ谷レーシングからエントリーの20歳の若者に第1ヘアピンで捕まり、逃げ切られてしまいました。
WGPフル参戦2年目
1988年もガードナーのチームメイトとして、ロスマンズ・ホンダからフル参戦。
しかし、昨年の発展型として送り出された1988年式の新型NSR500に違和感を感じます。
このマシンが思うようにならず、シーズンを通して苦しめられることになります。
少なくともシーズンの前半、ガードナーなど、周りにも理解されず、やや孤立してしまったように見えました。
鈴鹿の緒戦を見て、「なにかおかしい」と明らかに発言したのは、この八代選手と、その走りを見ていたモリワキ森脇代表、ホンダの開発ライダーだった阿部孝夫さんくらいだったように記憶しています。
1988年型のNSR500に苦しめられる様子は、後に雑誌RACERSの中で「我が愛憎のNSR500」という描き下ろし記事で、八代選手自身が明かしてくれています。
日本人ライダー初!
八代さんは、日本人ライダーで初めてダイネーゼと契約した人でもあるのです。
デビルマークがカッコよかった。
全日本ロードレースへ復帰
1989年からは国内に戻り、マシン開発を行いながら全日本選手権を戦うという、開発ライダー兼レーサーになります。
スポンサーはカメラなど光学機器のPENTAX。
白黒赤カラーが新鮮で素敵でした。
この年の最終戦は、気持ちよく勝ってシーズンを終了。
レースでの本格的な活躍、実質このあたりまでで、翌年のY’sレーシングの活動途中で引退してしまいました。
その後は、雑誌でのインプレッションや解説をする姿をよく見かけます。
語り口が柔らかく、ユーモアに富んだ方ですので、明るく楽しい居酒屋トークに花を咲かせてくれます。
「突っ込みハッチ」だけではなく、「居酒屋ハッチ」の愛称で呼ばれることもあります。
編集後記
1989年、ホンダが同爆エンジンを持ち込んできた年ですね。
筑波の最終コーナー付近で音を聞いていたのですが・・・、八代選手のNSR、興味深いものがありました。
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確かモリワキで全日本走ってた時はNSR500では無くてNS500だったと思います。
モリワキ時代の八代選手、NS500とNSR500、両方に乗っています。
最初NS500だったのですが、お!いいじゃん!って、早い段階でNSR500を貸与されてましたよね。
むしろ、テストだけで、本戦出走は全てNSR500だったんじゃないかと思います。