ケビンマギーはヤマハ8耐初優勝の功労者

#16 Kevin Magee YAMAHA YZR500

ケビンマギー選手を知っていますか?

ケビン・マギー (Kevin Magee、1962年7月20日生まれ)

オーストラリア出身の元オートバイレーサー。

同じオーストラリア出身ライダーのワイン・ガードナー選手の後輩的な立ち位置でレース界に登場。

オーストラリアの国内レースを皮切りに、ドゥカティやヤマハで走ってキャリアを積んでいました。

その走りに目をつけたのは、日本の森脇護氏。

そう、モリワキエンジニアリングの創始者で、ワイン・ガードナーを見つけ出したあの森脇さんです。

さっそくの鈴鹿8耐参戦

森脇さんに機会をもらったマギー選手は、1985年にモリワキマシンで8耐初参戦。(予選、決勝共に9位)

翌年、1986年にはヤマハから、マイケル・ドーソン選手とのオージーコンビで早くも2位表彰台に上がってしまいます。(予選も4位)

早くも表彰台、しかも、このときのマシンはTT-F1ワークスマシンではなく、オーストラリア選手権用のスーパーバイク仕様FZ750だったというので、2度、驚かされました!

マイケル・ドーソン選手もオーストラリア選手権の一流ライダーですのでね。

1987年ヤマハの鈴鹿8時間耐久オートバイレース

1985年、キングケニーことケニーロバーツと平忠彦との夢のタッグで戦ったヤマハ資生堂TECH21レーシングチーム。優勝目前でのエンジンストップ、リタイヤ。

1986年、平忠彦、クリスチャンサロン組で臨んだヤマハ資生堂TECH21はまたしてもリタイヤ。

鈴鹿8耐の1978年からの優勝者記録を見てみると、

1978年 ヨシムラ(スズキGS1000)ウェス・クーリー、マイク・ボールドウィン組
1979年 ホンダCB900F トニー・ハットン、マイク・コール組
1980年 ヨシムラ(スズキGS1000R) ウェス・クーリー、グレーム・クロスビー組
1981年 ホンダRS1000 マイク・ボールドウィン、デビッド・アルダナ組
1982年 ホンダCB900F 飯島茂雄、萩原紳治組
1983年 スズキGS1000R エルブ・モアノー、リカルド・ユービン組
1984年 ホンダRS750R マイク・ボールドウィン、フレッド・マーケル組
1985年 ホンダRVF750 ワイン・ガードナー、徳野正樹組
1986年 ホンダRVF750 ワイン・ガードナー、ドミニク・サロン組

そして迎えた1987年。
前年2位のケビンマギーの相棒はマーチン・ウィマー。
チームは資生堂TECH21レーシングチーム。
マシンはヤマハYZF750。

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本来は平忠彦が直接ライディングを行ったであろう資生堂TEC21のYZF750。
しかし、世界GP500ccクラスにフル参戦していた平選手は、直前にフランスのポール・リカール・サーキットでクラッシュ。首の骨を骨折して出走はならず。急遽、同チームの監督としての参戦となっていました。

鈴鹿8耐ヤマハ初優勝の奇跡

その1987年。

ヤマハのライバルは、3連覇を狙う、ホンダのワイン・ガードナー。
この年のガードナーはまさに絶好調!
世界GPの500ccクラスでも強さを見せつけて、世界も8耐も大本命とされていました。

その8耐本番、やはり、ホンダRVF+ワインガードナーは強く、ポールポジションから首位走行。

追いかけるのは、ヨシムラのギャリー・グッドフェロー、高吉克郎組。こちらはヨシムラのセカンドチームで、ヨシムラのエースチーム、ケビン・シュワンツ、大島行弥組はエンジントラブルで早い段階で消えていました。

しかし、4時間ほどでトップ走行中のドミニク・サロン選手が1コーナーで転倒。

トップを高吉組、追いかけるマギー組になります。

淡々と周回を重ねる中、まだ若い高吉選手の優勝か!? と期待が高まりますが……、

レースも残り5分。

ヨシムラのブルーのライトが一瞬コースから姿を消します。

なんと! トップの高吉選手が周回遅れ絡みで転倒!
再スタートを切るものの、トップはマギー選手が奪い取り、そのままチェッカー!

まさかのヤマハの逆転8耐初優勝!
そして資生堂TECH21レーシングチームが待ち望んだ優勝! となりました。

▼▼1987年鈴鹿8耐

 

GP500参戦

1987年は世界GPの500ccクラスにもスポット参戦。

8耐後の第13戦ポルトガルGPでは3位表彰台に登るなど、オーストラリアから、またとんでもないライダーが出てきたなと思いました。

翌年(1988年)のヤマハ8耐

前年8耐初優勝したヤマハのYZF750でしたが、1988年、ケビン・マギー選手は、世界GP500でもチームメイトのウェイン・レイニー選手とのコンビで連覇を果たします。

チーム・ラッキーストライク・ロバーツは、ケニーロバーツ選手のチームですから、平選手もケニーロバーツも、監督として共に8耐リベンジを果たした年になりました。

ケビンマギー選手のその後

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GP500で活躍し、将来を期待されたマギー選手でしたが、チームメイトが凄過ぎて……。

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そして、1989年と1990年には、彼の運命を左右する事件が……。

これについては、また今度書きましょう。

では。

 

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