木下恵司(きのしたけいじ)選手について
木下恵司(1956年10月22日生まれ)
愛知県出身のロードレーサー
木下恵司選手は、全日本ロードレース選手権GP500ccクラスで、ヤマハ、ホンダと2メーカーをまたいで2度の全日本チャンピオンに輝いたレジェンドレーサーです。
20歳にレースを開始。
今のレース界の状況とくらべると、かなり遅いスタートといえます。
しかし、名門プレイメイトレーシングチームで参戦を開始した木下選手は、快進撃を遂げます。
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木下選手の主な戦績
1976年 ノービス 250ccクラス チャンピオン(20歳)
1979年 全日本選手権 国際A級350ccクラス チャンピオン
1981年 全日本選手権 国際A級500ccクラス チャンピオン(ヤマハ)
1983年 全日本選手権 国際A級500ccクラス ランキング2位
1984年 全日本 国際A級500ccクラス ホンダへ移籍
1986年 全日本 国際A級500ccクラス チャンピオン(ホンダ)
木下選手といえば……
1983年、チャンピオンがかかった全日本選手権の最終戦の出来事。
この時、伝説のライダー、キングケニーを破って世界チャンピオンを決めたフレディー・スペンサーが来日。
ちょうどこの大会に参戦しました。
なんとか喰らいついて勝負しようと、フレディースペンサーを追いかけていった木下選手は転倒。
目の前の、全日本チャンピオンを取り逃がすという出来事が起こりました。(この年の全日本チャンピオンは平忠彦選手が獲得し、その後も連覇、全日本3連覇を許してしまうことになります)
契約ライダーの仕事としては、確実にチャンピオンを獲ることが求められていたはずです。
でも、レーサー木下恵司選手は、もっと速く! もっと速く! と、先を見据えた。
おとなしい顔をしながら、ひん欲にスペンサーを追った木下選手にはレーシング魂を感じます。
しかし、そこには賛否両論あったことは容易に想像出来ます。
その証拠に、翌年、ヤマハからホンダへ移籍しています。
木下恵司選手の動画
▼▼1983年 全日本最終戦 スペンサーを追う木下選手
▼▼1986年 全日本チャンピオンがかかった菅生大会
木下選手をもっと知る
平忠彦(たいらただひこ)選手の出世作ともなった映画「汚れた英雄」ですが、ウィリーのシーンだけは、平選手ではなく、同じヤマハの木下選手に役割が回ってきたらしいです。
当時の平選手はまだ若くて、あまり信頼されていなかったご様子。
そこで、ウィリー走行だけはベテランの木下選手に委ねられたのでしょうね。
なにせ、レンタルだけで何千万円のファクトリーマシンですから……。
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