MotoGPチャンピオンのWタイトル獲得はフレディスペンサーが初めてではない! コークバリントン! 片山敬済のライバル!!

MotoGPチャンピオンのWタイトル獲得はフレディスペンサーが初めてではない!

MotoGPファンの皆様こんにちは。

今の時代は、レギュレーション上、2つのクラスにまたがってフル参戦し、チャンピオンを狙うことが出来なくなっているようですが、以前は出来たのです。

最後の世界グランプリWタイトル獲得は1988年。
GP125ccクラスと、GP80ccクラス両方に参戦して、ともに世界チャンピオンとなったホルヘマルチネス選手(デルビ)

MotoGPという言葉もクラスもなく、世界グランプリ(略称WGP)でした。
そのときの最速、最高峰クラスが、GP500! 
2ストロークエンジンの規制前、軽量、ハイレスポンス、ハイパワーのGP500ccクラスが最強の時代でした。

そこでやはり、Wタイトル獲得で有名なのは、その最高峰GP500ccとその直下に位置するGP250ccにWエントリーし、圧勝でWタイトルを獲得してしまったフレディースペンサー選手になるでしょう。

およそ、オートバイロードレース界で、Wタイトル獲得というと、このフレディスペンサー選手の名前があがりますが、スペンサー選手のもう少し前にさかのぼり、Wタイトルの2年連続制覇をしている選手が居るのです。

それが、コーク・バリントン選手です!

コーク・バリントン選手について

コーク・バリントン(Hugh Neville (Kork) Ballington、1951年4月10日生まれ)

南アフリカ出身の元バイクレーサー。

1970年代後半~1980年代前半に活躍し、世界GPライダーとしてはかなり有名。

日本初の世界チャンピオン片山敬済(カタヤマタカズミ)選手とも熾烈な戦いをしたことで知られています。

世界チャンピオンは1978年、1979年の2年連続のWタイトル獲得で通算4回。

1978年 GP350cc 世界チャンピオン
GP250cc 世界チャンピオン
 
1979年 GP350cc 世界チャンピオン
GP250cc 世界チャンピオン

ちなみに片山敬済選手の世界チャンピオンは1977年GP350ccクラスです。

バリントンはカワサキとともに

南アフリカでレースを始めたバリントン選手は、海を渡りイギリスの国内選手権に出場しながら、1976年、世界グランプリの数戦にエントリー。

当時はヤマハのTZでしたが、その数戦の中で、GP250ccクラスで表彰台にあがり、GP350ccクラスでは、初年度ながら世界GP初優勝をあげて注目されます。

1978年カワサキに迎えられ、いきなりのWタイトル獲得!
そして1989年へと2連覇達成!!!!

以降コーク・バリントンはカワサキの看板選手になるわけです。

そう、カワサキがレース活動から撤退するまで。

KR500はカワサキが放った新型マシン

1980年 カワサキファクトリーは最高峰クラス、GP500ccクラスに参戦!
新型マシンを投入しました。

マシンはKawasaki KR500

アルミモノコックフレームを採用し、ロータリーディスクバルブ、スクエア4のエンジンを搭載。

アルミモノコック自身は前年にHONDAが放ったNR500に先を越されましたが、先進的なマシンであったことは間違いありません。

そのマシンを託されたバリントン選手でしたが、先発のヤマハ対スズキの抗争にマシンの戦闘力が追いつかず、苦戦。

1980年、WエントリーしていたGP250ccクラスで世界ランキング2位のバリントン選手をもってしても、GP500ccではランキング12位。

1981年 軽量化、パワーアップ、新機能の追加など、改良されたKR500でランキング8位。
レース職人バリントン選手は、3位2回と2度の表彰台にも立ちました。

1982年 そのまま正常進化か? と思いきや、カワサキはプレス鋼板製のバックボーンフレームを投入。
過去を捨てて、フルモデルチェンジで一気に進化しようというもくろみが、上手く噛み合わず、撃沈。
最上位は6位が2回。
バリントン選手をもってしても7、8、9位あたりが精一杯となりました。

KR500の開発はこの3年間で終了。

カワサキのレース撤退とバリントンの引退

1982年シーズンを最期に、カワサキは世界グランプリからも撤退を決定してしまいました。

残念なのは、バリントン選手への撤退通告が遅くて、次シーズンのシートを失ってしまう結果となったこと。

結論として、カワサキと心中してそのまま世界グランプリの舞台から去ってしまったのです。

世界グランプリでの戦績

MEMO
コークバリントン戦績

コークバリントンの動画

GP350ccクラスで片山敬済選手と争った1978年、ゼッケン5番のライムグリーンがコーク・バリントン選手。
ヘルメットのシールド越しに見えるサングラスがいかにもコーク・バリントン選手ですね。

▼▼片山敬済対コークバリントン

▼▼KR500の動画

鈴鹿8耐にも参戦

1987年久しぶりに表舞台に登場します。

その舞台は、鈴鹿8時間耐久オートバイレース!

コーク・バリントン、ロバート・フィリス組(グッドラック・チームグリーン、ZRX-7)として参戦。
結果はマシントラブルでの途中リタイヤとなるものの、元気な姿を見せてくれました。

翌1988年にも同じくフィリス選手と参戦。

また、この年は、カワサキがワークス体制で乗り込んできたマジシーズンでした。

実際に鈴鹿8耐の結果も、

3位 ピエール・サミン、アドリアン・モリラス組(カワサキフランス)
5位 宗和孝宏、多田喜代一組(チームカワサキ)
6位 コーク・バリントン、ロバート・フィリス組(チームカワサキ)

素晴らしいですね。

速さ、安定性、体力……バリントン選手凄いです。

KR250、KR350、KR500

カワサキ好きにはたまらない。。。

カワサキはなぜライムグリーンの塗装色を使うのか?その由来

カワサキがライムグリーンのマシンを登場させたのは、今から約50年前、1969年のデイトナ200マイル!

ファクトリーマシンのA7RSとA1RAS、全車が緑色という異様な光景を見せつけました。

そこに至るまで、カワサキのマシンといえば赤を使っていて、なぜ突然ライムグリーンを選択したのでしょうか?

ライムグリーンの色は、とある宗教ではお葬式に使う不吉な色だそうですが、むしろその忌まわしい色、インなパクトのあるこの色をあえてチョイスしたようです。

死神とかドクロマークのシンボルマークを掲げるイメージに近いのでしょうか?

とはいえ、今となっては、この色を見ただけで、「カワサキのマシンだ!」と連想が出来ます。

イメージ戦略としては、凄いプロモーション効果を発揮したことでしょう。

ついにMotoGP殿堂入り

ところで、このコークバリントン選手、2018年10月26日にMotoGPレジェンドとして殿堂入りを果たしました。

なにせ、Wタイトル2年連続ですからね。

ただ者ではないのです。

 

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