ライディングフォームはリーンウィズ!
美しき青い戦士!
ゴロワーズカラーといえば真っ先に浮かぶライダーがこの人、クリスチャン・サロン選手です!
クリスチャン・サロンというレーシングライダー
クリスチャン・サロン(Christian Sarron 1955年3月27日)
フランス出身の世界グランプリで活躍し続けた、元オートバイのロードレースライダーです。
クリスチャン・サロン選手といえば……
オートバイのロードレースファンなら知らない人は居ないこの選手。
ライディングフォームとして「リーンウィズ」というスタイルで闘っていたライダーです。
現在のMotoGPでは肘を擦るようなとてつもなく深いバンク角が当たり前になりましたが、ライディングスタイルやライディングフォームというものは年代ごとに変化を続けてきました。
その中で、アメリカからやって来たケニーロバーツ選手が取り入れて広がったハングオフスタイル(ハングオンとも言う)が世界中で当たり前になったのが、1970年代後半以降の世界選手権でした。
ハングオフスタイルの元祖はアメリカ人ライダーのケニーロバーツ選手ではなく、フィンランド出身のヤーノ・サリーネン選手であると言われています。
氷上レースのアイスレース出身の北欧人ライダーが持ち込んだハングオフライディングが、後に世界のスタンダードになっていくわけです。
ハングオフ全盛となった1980年代
そのハングオフスタイルが全盛になった後も、クリスチャン・サロン選手は、慣れ親しんだリーンウィズ走法で、並み居るライバルたちと互角以上に渡り合いました。
リーンウィズからハングオフへ
しかし1980年代も後半になってくると、そのクリスチャン・サロン選手のオフセットも少しずつ大きくなり、オフセットの小さいハングオフスタイルに進化していきます。
マシンやタイヤの変化に対応するためだったのでしょうか。
かつてのリーンウィズとは違うライディングが見て取れるようになりました。
当時のトップライダーのひとり、1987年世界チャンピオンのワイン・ガードナー選手とのバトルシーンです。
1988年
https://www.instagram.com/p/BznHliunxw9/?utm_source=ig_web_copy_link
1989年
https://www.instagram.com/p/BtRl4h4BHdX/?utm_source=ig_web_copy_link
クリスチャン・サロン選手の経歴
1985年から世界グランプリの最高峰クラスGP500ccにフル参戦していますが、その前はGP250ccクラスのトップライダーでした。
実際に、1984年にはシーズン3勝をあげて、ロードレース世界選手権250ccの世界チャンピオンに輝いています。
1985年からはGP500へステップアップを果たし、フレディー・スペンサー、エディー・ローソン、ワインガードナーらと競い合っています。
GP500では、1990年までの6シーズンを闘いました。
GP500ccクラスでの通算成績は1勝(1985年)を記録しています。
1988年には最多連続ポールポジション(5回・当時)を記録するなど、一発の速さを持つ男でした。
地元、フランスグランプリ(ポール・リカール・サーキット)でも燃えてましたね!!!
主な戦歴
1976年 WGP350cc 26位 ソノート-ヤマハ TZ350
1977年 WGP250cc 14位(1勝) ソノート-ヤマハ TZ250
WGP350cc 7位 ソノート-ヤマハ TZ350
1978年 WGP350cc 15位 ソノート-ヤマハ TZ350
1979年 WGP500cc 11位 ソノート-ヤマハ TZ500
1981年 WGP500cc 23位 ソノート-ヤマハ TZ500
1982年 WGP250cc 10位(1勝) ソノート-ヤマハ TZ250
WGP350cc 8位 ソノート-ヤマハ TZ350
1983年 WGP250cc 2位(1勝) ソノート-ヤマハ TZ250
1984年 WGP250cc 世界チャンピオン(3勝) ソノート-ヤマハ TZ250
1985年 WGP500cc 3位(1勝) ソノート-ヤマハ YZR500
1986年 WGP500cc 6位 ソノート-ヤマハ YZR500
1987年 WGP500cc 7位 ソノート-ヤマハ YZR500
1988年 WGP500cc 4位 ソノート-ヤマハ YZR500
1989年 WGP500cc 3位 ソノート-ヤマハ YZR500
1990年 WGP500cc 9位 ソノート-ヤマハ YZR500
兄弟で世界グランプリライダー
クリスチャン・サロン選手の弟、ドミニク・サロン選手も世界選手権を戦うGPライダーでした。
同じように、GP250からGP500へステップアップし、トップライダーとして活躍しました。
ただし、兄弟でオートバイメーカーは異なり、兄のクリスチャンがヤマハ。弟のドミニクがホンダという構図でした。
深みのある青い色が美しい
ソノート・ヤマハ時代、彼のチームのメインスポンサーは、フランス産タバコのゴロワーズ。
その青い姿は美しく、見栄えのするカラーリングでファンも多かったです。
平忠彦選手とのコンビ
時として同じヤマハとはいえライバルとして闘った平忠彦選手。
1986年の鈴鹿8時間耐久オートバイレースでは、その平忠彦選手とのコンピで出走する姿を見ることが出来ました。
その時のカラーリングは、普段のゴロワーズブルーではなく、資生堂テック21のやや青紫がかった水色でした。
クリスチャン・サロン選手をもっと観る
関連記事
クリスチャンのライバルたち
フレディー・スペンサー
フレディー・スペンサー! レジェンドレーサー最速の称号! ファースト・フレディー!!
エディー・ローソン
エディローソンは燃える闘魂のオートバイレーサー!? ステディー・エディーは嘘っぱちだった!?
ランディ・マモラ
ランディマモラが殿堂入り!マモラ乗りを知っていますか!?あの人気ライダー!
ワイン・ガードナー
ワインガードナー(Rothmans HONDA NSR500)はモリワキから世界チャンピオン!ブルーサンダー!
平忠彦
平忠彦(たいらただひこ)の世界グランプリ挑戦!WGP250ccから世界最高峰クラスWGP500ccへ!
ニール・マッケンジー
ニールマッケンジー!またの名を新沼謙治!はフライングスコットと言われた世界GPライダー!
八代俊二
八代俊二(やつしろしゅんじ)はモリワキから世界へ! ワインガードナーのチームメイト! 突っ込みハッチはホンダのライダー!!
▼▼スポンサーリンク▼▼
-
【バイク買取】バイク王
「あなたのバイクは今いくら?」オンラインでそのままできる3ステップの無料お試し査定が便利です。
-
【バイクグッズ】デグナー
DEGNER(デグナー)は京都のレザーショップ
ハーレー御用達で、レザージャケットやレザーパンツはもちろん、ブーツやグローブ、キャップなど、のウェア一式からサイドバッグなどのバイク取り付けバッグまで対応。概要 ライダーズウェアやバッグなど 特徴 ウェアから小物まで革製品のお店 メーカー直営店なので配達も早く、アフターの対応もしてくれます。
-
【バッテリー他】益城電池
益城電池(ましきでんち)さんのサイトは、バッテリーだけではなく、アライヘルメットやRSタイチさんのウェア、その他タンクバックやサングラスなども扱っています。
概要 バイクパーツ総合デパート 特徴 バッテリーだけではない バイクバッテリーの適合表は、国内4社だけではなく、BMW、トライアンフ、ドゥカティ、ハーレー、ビモータやビューエル、MVアグスタ、ベスパなどにも及んでいて便利です。
片山敬済
(かたやま たかずみ、1951年4月16日 – )
兵庫県生まれ モーターサイクル・ロードレースライダー
後年、4輪でパリ・ダカールラリーにも参戦
WGP コンチネンタルサーカス連戦時の愛称 ニンニク君
1977年日本出身者として初めてのロードレース世界選手権(WGP)チャンピオン獲得。
最速フレディー全盛期、同じホンダHRC NSR500 で
堂々の 3位入賞
忘れえぬプリンス